2005年06月25日

コクーン歌舞伎『桜姫』

期間:2005年6月5日〜6月26日(日)
場所:渋谷シアターコクーン
演出:串田和美
出演:中村福助(桜姫)、中村橋之助(清玄/権助)、中村勘太郎、中村七之助、他

<あらすじらしきもの>
清水寺に伝わる「清玄桜姫伝説」に、男色と御家騒動を綯い交ぜにした、南北得意の手法による筋書きを基にした芝居。
吉田家の家宝を盗まれ、父と弟を何者かに殺された桜姫。せめて弔いをと出家を願う。長谷寺にて念仏を唱えたら、生まれつき閉じていた左手が開いて中から「清玄」と刻まれた螺鈿の香箱が。長谷寺の阿邪利清玄は、輪廻転生の因果であると知り、桜姫を慕いはじめる。しかし桜姫は、左手が開いたことを聞きつけて、艶文を送ってきた悪太郎も含め、どちらも受け付けない。実は、家へ盗みに入ったついでに身体を奪った悪党・権助が忘れられず、操を立てるために出家するつもりだった。それでも清玄は、濡れ衣を着せられても非人におとしめられても、前世の因果を理由に桜姫を追う。姫は姫で、偶然再会した権助と再び身体を重ね、権助の女房となってからは、上手く言いくるめられて女朗として売り飛ばされても、素直に従う。それでも清玄は姫を追い、ついには揉めたはずみで首を掻き切り、死ぬ。亡霊となって桜姫の前に現れた清玄は、権助が実は桜姫の父と弟を殺し、家宝を奪った張本人であることを暴露する。御家再興を決意した桜姫は、思い悩んだ末に、愛した夫と子供を殺す。

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コクーン桜姫歌舞伎『桜姫東文章』串田コクーン版。
筋書きの絵と、緞帳と垂れ幕の絵、小道具の絵を宇野亜喜良が描いている。なまめかしさ一杯。今回は芝居全体がそう。コクーン歌舞伎が毎回のテーマにしている「エロ・グロ・ナンセンス」のうち、今回は「エロ」に少しだけ「ナンセンス」をつけてみたような。

結論から言うと「今回は、なんか冴えないなあ」という印象。串田氏、桜姫の色香に迷うたか?

もともと「コクーン歌舞伎」の狙いって、歌舞伎を観客と役者が一体になって、歌舞伎が本来持つセンス(エログロ…)を斬新な演出で楽しむというもので、以前の「夏祭浪花鑑」では、それが非常に上手く出来ていた。
なのに、「桜姫」はどうもその力強さが感じられない。

役者が、観客の中からいきなり出てきたり、通路を走り抜けたり、小道具を客に持たせたりして、観客を芝居の筋に引き込む演出。ただ、これは現代演劇では随分前から行われていて、歌舞伎でやってみせたところで単なる真似。でも、これも「夏祭…」のときは、歌舞伎っぽさを出して上手にやってのけてたのになあ。
今回のナマモノは、雨。本物の水が舞台前面にドドドと降る中、清玄が桜姫を探して彷徨う。1幕最後の場面だが、橋之助は濡れない所ばかり歩くため、これまた中途半端。ちなみに「四谷怪談」ではお堀に水、「夏祭…」では泥を溜め、いずれもその中に役者がドボーンと浸かって、派手にしぶきを散らして切り結んだり暴れたりというものだった。
長唄の代わりとして、今回は語り役が出て、口上を述べるように筋を語る。現代っぽさを出しているようだが、馬鹿っぽいだけな感じがする。

何より、肝心の場面を端折ってしまったため、話の本懐が分からなくなってしまった。桜姫の感情表現は、本来の演出で出来る程度でしかなく、これではこの芝居が持つ不条理なスゴさみたいなものが活きない。

最初の志を忘れてしまったかのような、短絡的に現代演劇化しただけのような、なんか物足りないような、コクーン歌舞伎「桜姫」だった。
posted by sayorin at 23:55| 東京 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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